<手話の世界へ>
長岡@気流堂 2005年12月14日(水)07:26
 
 大好きな神経生理学者、オリバー・サックスの「手話の世界へ」を詠みました。
 サックス氏は,友人から聾者の手話言語についての本を借りて読むまでは、聾について、また彼らの言語である手話について関心を持っていなかったそうです。
 聾者の手話については、アメリカのサックス氏が、それに関心を持ちかかわるようになった、80年代後半から、「手話はひとつの独立した言語だ」という主張が唱えられるようになりました。
 それまで、生来の聾者は、聴覚が不自由ということにより、言語の概念を構築することに困難を感じていっために、知的発達が遅れたり、文盲とみなされたりして、社会から疎外される対象となってきました。
 また、手話を使わず、話している人の口元を見て、その言語を「目で見て」読み取るということや、無理やり言葉を発声させるような教育もなされてきました。
 しかし,生来の聾者は、言語というものを健聴者が脳の中で構築するさい音声に反応する脳の部分を使っている方法とは違う、色覚的に反応する脳の分野で言語を構築しているということがわかってきました。
 彼らは、言語概念を空間的なものに置き換えて言葉を理解し、つむぎだしているのです。
 我々が良くテレビなどで目にする手話は、言語ひとつひとつを手の動きに置き換えたもので、生来の聾者が使用している、言語としての手話とは違ったものです。
 サックス氏は、聾者だけの大学、遺伝的に聾者の占める割合が高いため、底では手話が標準語のようになって、住民すべてが手話で話が出来る島など、健聴者と同じように、手話を言語として生活している所を訪れます。
 そして、氏は、彼らの主張する「手話は言語だ」という訴えに共感を覚え、彼らの言語を尊重し、健聴者である氏も、他の言語を学ぶように手話を習い始めます。
 私自身、10年程前に日本の聾者たちが「聾文化宣言
」を唱えた事を知っていましたし、彼らの置かれている苦しい立場から,価値の反転を試みて、アイデェンティティを確立しようとする気持ちは理解できました。
 しかし、それがあまりにも急進的過ぎると、すべての民族的アイデンティティの場合のように、排他的、攻撃的になり、結果として,彼ら自身の孤立を促してしまうことを危惧したのでした。
 しかし、マイノリティが暮らしにくい世界は、マジョリティも暮らしにくい世界だと私は思うのです。
 なぜならば、一部の人たちが生き難く楽しんで生きていけない世界に同じく暮らすことは、感性が鈍い者でないかぎり、同じく生き難いと思うからです。
 

<低血圧と乾布摩擦>
長岡@気流堂 2005年12月07日(水)08:06
 
 急に、心底冷え込む季節となりました。今回のコラムは低血圧。特に若い女性の多くが,その症状に悩まされながら、体質等で抜本的な治療がなされないままである症候です。
 私自身、最高血圧90、最低血圧50台の重度!の低血圧で、その症状に長年悩まされてきました。
 鍼灸治療で自律神経のバランスを整えるようになって以来、その自覚的症状は軽減してきて、ほとんどなくなりましたが、不思議なことに血圧は以前と低いままなのです。
 実際血圧が低くても、低血圧の症状がなければ、単なる低血圧症とされます。
 低血圧に効果があることは、いろいろあり、コラムにも書いていますので、それをご参考に。その中で、どの本にもかかれてあった対処法は、「乾布摩擦」でした。皮膚からの刺激が中枢神経の自律神経調節機構い作用して、血圧を上げるという仕組みなようです。
 spれで、早速、この寒い中、朝起き一番全身の乾布摩擦を始めるようになって2週間。
 効果のほどは、まだまだ続けなければ出てこないと思いますが、摩擦熱のためか、思ったよりも寒くないです。
 皆さんも、寒さに躊躇しているようでしたら、是非、乾布摩擦をしてみませんか?

<分裂病と人類>
長岡@気流堂 2005年11月29日(火)06:41
 
 精神科医中井久夫氏の「分裂病と人類」を読みました。世界中すべての人類において、分裂病の占める割合が1%という高率であるということを、氏は、「分裂病という現象が、遺伝上の淘汰の際において優位にあるためではないか?」という仮説を、実際の臨床経験から紡ぎだします。
 確かに、分裂病の症状は、それを患っている方に苦渋を強いるだけでなく、彼らを取り巻く人間関係にも大きな支障を強いる病です。
 であるならば、長い年月の間に、分裂病そのものが、遺伝的淘汰によって滅亡していくはずです。実際、結核はペニシリンの発明以前に、その菌が寄生する肉体が死滅するために、生き延びることが出来なくなり、減少していったと考えられているようです。
 分裂病の場合、どうしてそうならないか?それに対して、氏は「配偶者獲得において、優勢であるからではないか?」とおいう仮説を立てます。
 実際に患者と接する中で、氏は、分裂病を患う方の気質が非常に繊細で、相手の気持ちを読み取る感受性に優れていて、それがゆえに不安定になりやすく、病を発症するのではないか?と考えます。そのような対人関係の感受性の高さは、配偶者を獲得するときに優位になる条件です。
 また、日本人に多い「執着気質」は、「債権=建て直しの倫理として刻印を帯びた勤勉の倫理」であるとし、その強迫観念が、分裂病気質を生き難くする要因であるとも言います。
 「失調すれば、究極的には、分裂病となって現象するものはなお働きつづけているのだが、負荷にあえぎ、空転の危険にたえず曝されているとも言いうる」と、分裂病気質の人に加えられる社会からの圧力をそう表します。
 実際、北海道のある町で、分裂病の人たちが共同生活を送りながら、地域に溶け込んでいる様子をテレビで観たことがあります。
 幻覚・幻聴など様々な分裂病の症状に悩まされながらも、共に病を理解しあう人たちと暮らし、その不都合をお互いに補い合い、地域の人々も彼らと接するうちにだんだん病に対する理解が深まっていき、彼らを地域の一員として受け入れていくそのような、寛容・余裕のある環境であるならば、分裂病の人も充実した人生を送ることが出来るのではないかと、彼らの試みが、日本全国、この東京でも可能であればいいなあと、他者排除が益々進みつつある東京に閉塞感を日々感じている私はそう思います。
 

<血圧数値の意味>
長岡@気流堂 2005年11月23日(水)07:08
 
 次回のコラムのテーマが低血圧なので、しれに関する書籍を10冊ほど詠みました。
 そのどれにも書かれている事は、「低血圧は病気ではないが、当人にとってはかなり辛い症状である。しかし、(病気を治療する)西洋医学では抜本てきな治療法はない。」というものです。
 私自身、かなり低血圧体質「最高血圧90mmhg前半最低血圧50mmhg台」です。
 朝起きることが辛い(かった)、冷え症、立ちくらみ(あった)、気力がない(かった)などの症状が低血圧からくるとはあまり自覚していませんでした。
 過去形であるのは、ここ数年、低血圧であることを自覚して、積極的に体質改善の生活変化を試みたところ、上のような症状がなくなった、もしくは軽減したからです。
 以前は夜型で夜12時前に寝ることはありませんでした。しかし、今は早寝(遅くとも10時半)、早起き(4時半〜)の毎日。ヨガ、ウォーキング、スクワット、など朝、積極的に身体を動かすことで、交感神経を刺激して、血圧を上げるようにし、3食しっかりとっている効果だと思います。
 しかし、毎月血圧を測定しているのですが、数値は相変わらず数値は以前のまま低いのです。
 明らかに、私自身の自覚では、低血圧の症状はないのに、これはどうしたものかと。
 それは二つ考えられると思います。
 低血圧症、低血圧体質というのは別のものだという説。つまり、低血圧であっても、症状がなければ、それは単なる体質であって、治療対象ではないということ。
 二つ目が,以前の症状は低血圧が原因ではなく、自律神経の失調であったということ。
 血圧の調節には自律神経が関与しているのですが、それ以外にも、ホルモンや気温などの環境など様々な要因があります。
 ただ、冷え性おちう低血圧が大きな要因である症状は、あまり改善していません。
 だから、よく血圧の数値(主に高血圧の方)にあまりにも捕われて、ちょっとの変動に敏感いなって薬に頼ったりするよりも、様々な要因が絡み合っている複雑な身体機構の目安である血圧は、生活全体を改善することによって、ちょうどいい値に近づけていきたいものですね。

<アメリカが嫌いですか?>
長岡@気流堂 2005年11月16日(水)07:45
 
 新米評論家阿川尚之氏のアメリカについての著作を数冊読みました。
 氏は高校時代にアメリカに留学して以来、述べ15年以上留学・ロイヤーとして長年アメリカで滞在した経験があります。
 氏の立場は明確に「新米」です。
 日米関係は第2次世界大戦の対戦国として、その後の日本の占領、そして、戦後経済・政治特に軍事の同盟国として深い結びつきがあります。
 そして、ある世代、阿川氏は少年・青年期に占領を経験した世代のアメリカに対する愛憎半ばするアンビバレンツな感情を指摘します。
 その世代にとって、アメリカは、敗戦で貧しかった日本にとって、圧倒的な物質的な豊かさに咲き誇る憧れの国であり、そして、また、その豊かさを背景に世界の超大国として自国の資本主義・民主主義を世界全体に押し付ける傲慢な国として憎悪の対象でもあります。
 特に、冷戦以降唯一の超大国になったアメリカが、その影響力を巨大な軍事力を背景に及ぼし始め、さらに9・11テロ以来、その矛先は、そんなアメリカに最期まで対抗しつづける、イスラム諸国へと向かってきました。
 そんなアメリカに対して、日本は、同じ軍事同盟国として、テロにあったアメリカを支持・協力すべきだという意見と、アメリカに断固とした反対意見を示すべきだという意見に分かれます。それは、従来の右翼左翼に別けることが出来ない対米意識です。
 そのような中で、阿川氏は一貫して新米を主張します。それは、氏自身が体験したアメリカという国・人々との関係の中で培われてきたものだと思います。世に流布しているアメリカ観は、観念的なものであったり、わずかにアメリカと接触したものにしかすぎず、アメリカを理解しようとしたものではないといいます。
 アメリカの国の仕組みの原理主義的なところの良いところ悪いところ、例えば、アメリカ人は手続き主義であるということ。つまり、何もないところから国民がシステムを築き上げる際に、きちんと道理をとおして手続きを踏むという過程が大切にされていることを説きます。その際、その手続きにおいて自身に不利になることがあれば、どんな人であっても意義を申し立てでき、それを聞く耳を組織が持っているのです。
 それは移民の国であり、国民はそれぞれの出自が様々であることが前提となっているからです。そのようなアメリカにおいては、まず自意識を強くもち、他者に対して常に主張しつづける必要があります。しかし、そうして他者との葛藤を経て、認めた後、アメリカはその人を対等な一員として認めるという懐の深さがあります。
 私自身、情緒的にアメリカの文化は苦手ですが、アメリカを理解する努力をしていこうと思いました。それはどんな他者理解に対しても必要な態度だと思うからです。

<福祉の呪縛>
長岡@気流堂 2005年11月07日(月)07:18
 
 俊英の政治学者桜田淳氏の「<福祉>の呪縛」を詠みました。
 氏は、生来の脳性麻痺であり、身体障害者2級と認定されています。
 この本はそんな障害者本人の日本福祉の欺瞞への憤懣を率直に吐露し、そして、障害者自身の立場に立った本当の意味での自由な社会「自助努力支援型政策」を提唱します。
 この本を読んで、「やっと彼のような障害者が出てきてくれたか!」という感慨を持ちました。福祉の名のもとに、障害者を保護されるものであり、常に受身の生き方を強いる日本社会の閉塞感を、率直な怒りを込めて氏は暴露していきます。
 それは、被差別者にありがちな、社会への糾弾の形をとったルサンチマンのレベルを超越したものです。常に「施しを受ける身」である障害者が決して口にしてはならないとされてきた
がために、人間であるなら誰もが抱くストレートな欲望の発現とそえを社会で実現するための不備を要求する当たり前でありながら、日本社会では封印されてきた感覚です。
 氏が目標とするものは「納税可能な障害者」です。つまり、障害者であっても、社会から一方的に受けとるばかりでなく、一社会人おつぃての義務を果たすことです。
 そのような氏の意見に対しては「それは、貴方の障害がたいしたことなく、頭が良いという恵まれた条件であるからで、そうはできない障害者を切り捨てるものだ」という異議が唱えらられています。
 確かにそうであるとしても、氏がこのように半ば過激な意見を述べ、氏の代議士の政策担当の仕事を通じて社会の中で実現していくことは、障害者の心身ともに全的解放を目指すためにも、強力な推進力になると感じました。

<自閉症裁判>
長岡@気流堂 2005年11月01日(火)17:58
 
 浅草でレッサーパンダ男が、行きずれで女子短大生を刺殺しそのまま逃亡、数日後逮捕されるという事件を覚えているでしょうか?
 私は、その事件があったとき報道で,まだつかまらなかった犯人の様子、長身、レッサーパンダ帽、パンをかじりながらの信号待ち、という報道内容から、何だか不気味な犯人像を想像し、「まともな人」ではないと判断したことを覚えています。そして、犯人がつかまった時、それまでの犯人像をいろいろ上げていた報道が、ぴたりと口をつむってしまい、実際どんな人が犯人だったのか要領を得ないまま、忘れ去られました。
 次にその事件が私の目に止まったのは、犯人が無期懲役刑になったという裁判判決の報道でした。そのとき「ヘエー精神鑑定にひっかからなかったのかぁ」という感想を抱いたことを思い出します。
 この本は、20年に渡り障害者教育に携わってきた著者が、実は加害者が自閉症であったこと、それがマスコミの間で伏せられていたこと。そして、自閉症である加害者が日本の司法制度のもとで、どのような解釈をされ、どのような扱いを受けるのか?障害者にとっての責任能力、社会の側の責任と義務を裁判を通じて、また加害者、被害者のご家族へのインタビューを通して浮かび上がらせます。
 被害者は、本当に幸せを絵に書いたようなご家族の下で愛情たっぷりに素直に明るい女子大生でした。本当に運悪く、たまたま現場に居合わせただけで被害にあい、残酷な殺され方をしました。ご家族の無念と怒りは想像を絶するものであったことと思います。
 その中でも理性的に著者にインタビューに応じるその態度からなおさら最愛の娘を理不尽な犯罪で奪われた悲しみと怒りが伝わってきます。最愛の娘を奪った憎んでも憎みきれない相手が、自分自身の罪を充分認識していない、いやできていないことの、やり場のない怒り。せめて殺された理由が犯人の口から出てくれれば、怒りは湧いてくるけれども、その矛先を見出すことは出来るのに、それが出来ない苦しさ。
 ご両親の鎮痛な悲しみを痛いほど感じながらも、それでも、著者は自閉症である犯人に、責任能力を課していく法システムに対して疑問を抱きます。
そして、犯人の家族が、社会から全く孤立している状況を明らかにします。母親は犯人が中学校のころ病死、父親は自閉症で浪費癖があり養育を全く放棄していること、妹は病弱で末期がんを患いながらも、父、兄を働きながら支えてきたこと。福祉の目からも零れ落ち、社会から切り捨てられたこの犯人の家族こそが、犯罪を生んだとも言えます。
 刑法39条は精神的障害のある人は責任能力がないとして法の裁きを受けることから逃れられる事を定めたものです。
 それは精神障害のある人に罪を課さない代わりに、社会からの抹殺を意味するものもあります。
 長年精神障害者と接してきた著者が体験的に感じ取っていることから、障害者が罪を犯し、そしてそれを社会的に償うことは、どのような形がいいのか?自閉症裁判を通じて、この重い問いかけをしつづけます。
 私自身、この事件に接した当初の感想と、この本を読み終えた今とは、犯人/被害者に対する思い、判決への意見は微妙に違ってきています。
 しかし、出口のないトンネルに入り込んでしまったような、重い感覚です。
 人は、自由に生きる権利がある。そのためには、他者が自由で生きられる権利を侵害してはならない。そしてそのためにはスタートにおいては平等であることが原則である。
 リバータリアンのこのような主張に私は全面的に賛成です。
 しかし、そのためには、殺人という究極の他人の自由を侵すことは禁じらることは必然で、そして、障害があろうとなかろうと、スタートにおいては平等でなければならないと思います。だから、自閉症の人の思考・行為が、そうでない人と、コミュニケーション可能な地平で解釈なされないといけないとも思います。
 だからこそ、この問題は重いものです。

<ウェクスラー家の選択>
長岡@気流堂 2005年10月29日(土)20:45
 
 ハンチントン舞踏病と呼ばれる遺伝病があります。その病にかかると、初期には手足が震顫して止まず、次第に、病名のように踊っているように身体全体が意識のある時にずっと動きつづけ、次第に言語もおぼつかなくなり、精神障害が生じ、最期は痴呆状態になって死ぬという過酷な結末になります。
 現在のところ有効な治療方法がないため、ハンチントン病を発症したならば、100%上のような過程を経て10年近くに渡って患ったのちに致死することから逃れることは出来ません。
 ウェクスラー家は、母親の家系がハンチントン病の家系であったため、母方の祖父は、母が幼い頃亡くなり、母の3人の兄たちもそれぞれ40代で発症しなくなっています。
 母自身は54歳で発病して長く患った後に、痴呆状態になり死亡しました。
 この本はウェクスラー家の2人の姉妹の長女による、ウェクスラー家に襲いかかった遺伝病に対して、彼らがそれとどのように戦い、どういう選択をしたかを綴ったものです。
 母親は、自分の家系の遺伝病を自分が発症するまで家族には打ち明けることはありませんでした。若い頃は生物学者を志した知的で聡明な女性でありながら、自分の家系の遺伝病に関しては、かたくなまでに否定していて、当時女性はハンチントン病にかからないと言われていたようですが、それを信じて、結婚して子供をもうけました。
 ハンチントン病は優勢遺伝であるため、片親から遺伝子を受け継ぐ確立は50%です。発病がだいたい中年以降であるため、夫婦どちらかがその家系であったとしても、子供を作る時期に子供に病気が遺伝するかどうかはわからないのです。
 ウェクスラー家の場合、母の発症でその事実を知りました。母親は兄たちの死から、自分自身も発症するかもしれないという恐怖と、娘たちに遺伝させたかもしれないという罪悪感で、鬱状態になり、病気が発症したころには、精神分析医である夫とは離婚していました。
 しかし、離婚後も、元夫と娘たちは、母を献身的に看病しながら、ハンチントン病についての団体を設立し、病気の解明に対して東奔西走して尽力を尽くします。
 その結果、分子生物学の進歩により、ハンチントン病の遺伝子が突き止められ、遺伝子診断が可能になりました。
 そこで、姉妹は、自分たち自身の遺伝子診断をどうするかの選択に迫られました。
 同じ病を患っている人の中には、遺伝子診断を受けるもの、拒否するものそれぞれいろいろな思いで判断がなされました。
 診断を受けて陽性になったある人は何故受けたかの質問に対して、「それは当たり前だから。」と答え、陰性になった或る人は「これで子供が産める」と、今まであきらめていたことをやれると喜びます。
 姉妹は結局診断を拒否しました。姉はパートナーがいて子供を望んでいるため、当初は診断を受けることを希望していましたが、あいまいなままにしておき、子供を産むことはあきらめます。
 遺伝子診断が可能になったとしても、治療手段がない現在においては、遺伝が判明したならば、それはその人にとって、絶望を引き起こすしかないのだから、姉妹の選択は、希望なしに生きていけない人としての本質に忠実なものだと、私も思います。
 このことは、癌の告知に際してもいえることだと思います。治癒の確立の低い場合、もしくは、再発癌の場合、医者は告知するべきか?おして、患者は告知をされない権利というものはあるのか?余命は知らせるべきか?知らないでいる権利はあるのか?
 ウェクスラー家の人たちの苦悩とそれに対して、逃げずに彼らなりの選択をしていったことに、自分だったらどうするか?考えさせられました。

<日本の風景をを読む>
長岡@気流堂 2005年10月26日(水)07:22
 
 富山和子氏の最新作、「日本の風景を読む」を読みました。
 氏は17年に渡り、毎月、日本の季節折々の風土の写真とそれからインスピレーションを得て詠んだ氏の詩で綴った日本の米カレンダーを作りつづけておられます。
 この本は、そのような長年のカレンダー製作過程で培われた氏の日本の米作り風土に対する想いが、それまでの氏の環境論とともに語られています。
 社会学によると、風景という概念は、近代になって人々の心の中に生まれてきたそうです。それ以前、人々は、自らの周囲の環境を客観的に眺めるような視点を持っていませんでした。それは、主客一体化した、自らと周囲の環境とを別け隔てることがなかったからだと思います。
 それは、日本人にとって、風景とは、山を切り開き、米作り可能なように耕作地を開拓し、自然を自らの身体の一部のように一体化していったからだと思います。
 自然を征服するのではなく、水の引きにくい山ろくには石垣で棚田を造り、砂による侵食を食い止め、海岸を耕作可能な用地に変えていき、川を灌漑し、用地を作っていく過程において、日本人は、まるで自らの身体の一部をいたわり、慈しんできたのだと思います。
 そんな主客一体化した人と周囲の環境との関係は,高度経済成長以降変化していきました。
 国土開発の名のもとに無秩序に山が切り開かれ、減反、働き手の若者が都会に出て行ったために、手入れされず荒れ果てた田などが原因となって、風景というのは、遠くにあって眺めるものとなり、観光地の人工的なものに限定されるようになってしまったのだと思います。
 氏が、あたかも昔の風景が誕生する以前の様子をいま保ちながら、実は、上のような日本人の環境に対する変化に対抗し、環境を自らの身体の一部として守りつづけている米作り農家の人々の努力の賜物であるということを、読み解いているのだと思います。

<母と神童>
長岡@気流堂 2005年10月19日(水)07:37
 
 バイオリニスト五島みどり・竜の母、五島節の半生が書かれた本「母と神童」を読みました。
 毎日新聞のジャーナリストの著者は、克明な取材とインタビューに元づき、才能と才覚あふれながら、結婚、出産という女の生き方の型にはめ込まれ、それからの脱出の手段が、我が子の天才的な才能を育てることになった、団塊世代の独りの女性像を浮かび上がらせます。
 節の情熱と苦労があったからこそ、みどりも竜も自らの天性を発揮することができ、音楽によって、常人には体験しえない至上の喜びを味わえたのだと思います。
 しかし、その才能を音楽唯一に集約させたことにより、本来の子供として味わえたはずの様々な「遊び」体験をすることが出来なかったかも知れません。
 みどりも竜も、本当に幸運に天才であったこと、その背後に何百・何千という親の情熱を傾けられながら才能の足りず挫折し、その後の人生を未熟な人格と挫折したという劣等感にさいなまれながらすごした「神童になるはず」だった子供もいただろうと想像してしまいます。
 節は、正直ではっきりとした意見を持ち、子供にたいしてあふれる愛情を傾けましたが、その情熱は、本来自分自身に向けられるものであったはずだと思われてなりません。
 高度経済成長時代、男は会社人間としてがむしゃらに働き、女は例えどんなに頭がよく才能があったとしても、専業主婦として家庭に閉じ込めら得るという生き方しか選択肢がなかった時代、女にとって、子供の学校、就職する会社、結婚が、自分の社会的な評価とならざるおえなかったことが、母子密着現象を引き起こしているように思います。
 子供は、母親の生まで生きなければならない。
 みどりが思春期、拒食症になったことも、母と自分の密着した関係に無意識に軋轢を感じていたことの証だと思います。
 ただ、節の場合、自らの子供の中に、圧倒的な才能を感じてしまった、だからこそ、鬼になってその才能を育てることにのめりこんでしまったという事実があります。あまり他人の評価を気にしない、天衣無縫な性格の彼女は、もし、子供に才能がないと感じられたら、あれまでして教育に情熱を込めることはしなかったのではないかと。
 みどりも竜も、母親の愛情を深く感じ、そして、愛している様子から、自分たちが,母親の果たせなかったことの手段として利用されたのではないということを、彼らの明るい親子関係で感じられます。
 子供に親の意向を押し付けてはいけないという紋きりで評価できない、節とみどり・竜の親子関係でした。
 

<火星の人類学者>
長岡@気流堂 2005年10月12日(水)10:43
 
 神経生理学者オリバー・サックスの「火星の人類学者」を読みました。サックスは映画「レナードの朝」の原作者でもあり、臨床医として、神経系疾患患者の奇妙な振る舞いや言動を鋭く観察しています。そしてなにより氏の視点に心を動かされされますます。
 そのような病のため,非日常の世界に隔離されてしまい、「正常」の基準からは、「異常」とレッテルをはられた人々に、冷静で客観的な科学者としての視点と、温かい患者の主観的な視点の両方に立って描かれる患者と氏との交流は、読む者に、世界観の変換を促す作用があります。
 その中で、ツゥレット症候群の外科医の話があります。
 その病は、脳の高次機能障害のため、興奮性の奇妙な振る舞いを余儀なくされるものです。知能には問題はなくても、始終飛び跳ねたり、奇声を発したり、強迫観念にかられた行動を繰り返すために、一般的な社会生活を送ることが困難であるため、孤独を強いられ、それがますます性格の偏りを引き起こしがちな病です。
 取り上げられた外科医は、ツゥレット症候群を彼自身の強靭な精神力によって飼いならし、繊細で集中力を要する外科医の仕事をまっとうしています。
 そして、なにより彼の前向きな姿勢が、周囲の者の理解を生み、彼の「異常」な行動が、「ちょっと変わっているけど、それも彼の特性」としてとらえられていることです。
 しかし、サックスの深い洞察は、ツゥレット症候群の外科医のそんな外面だけでなく、本当の意味で絶望的な努力を要する内面の平静さを獲得するための血のにじむような努力までに及びます。
 圧巻なのは、外科医の運転する小型飛行機に同乗したことです。それ以前にも外科医の運転する車に同乗し、運転の最中に、何度もハンドルから両手を離すために、ジグザグ運転を経験しているにもかかわらず!
 サックス氏の患者に対する深い信頼感と共感に改めて感動しました。

<ラジカルオーラルヒストリー>
長岡@気流堂 2005年10月05日(水)11:26
 
 昨年春33歳の若さで急逝された若き政治学者、保苅実氏の、アボジニアリの口承歴史の考察の著作を読みました。
 氏は、述べ3年に渡り、アボジリアリの集落に滞在し、底の長老ジミーじいさんから、アボジニアリの歴史を伝え聞きます。
 ジミーじいさんの語る歴史は、我々西洋的な教育を受けてきたものが、歴史と思っているものからかなりかけ離れた、独特な史観です。
 例えば、オーストラリアを「発見した」とされるキャプテンクックに関して奇妙な歴史を聞きます。
 実際に、キャプテンクックが、その村を訪れたという、「実証的な歴史事実」はないにもかかわらず、ジミーじいさんの語る歴史には、キャプテンクックが現れ、アボジリアニーに許可なく、侵略した様子が語られます。
 また、彼らは独特な時空感覚をもち、ある場所が歴史的な事実であり、例えば方角は、西洋人が侵略してきた歴史的事実と結び付けられた意味を持ちます。
 そのような史観に対して、保苅氏は、従来の西洋の人類学が未開の人たちを観察し、自分たち自身の西洋の感覚で判断し、意味付けることに懐疑的な立場を取ります。
 しかしながら、それは、それぞれの立場でそれぞれの歴史があるのであって、真実はなにもないとする、文化相対主義に陥るのではなく、それぞれの違う立場同士の共通の掛け橋がないかを模索します。
 多分、氏自身のアボジリアニーでの生活があまりにも強烈で、彼に根本からの価値転換を迫られるような体験だったのであろうと思います。そして、そのような体験から掘り起こした彼なりの歴史構築の方法を、学者生命を危うくするかもしれない大胆な仮説を打ち立てる原動力になったのであろうと思います。
 本当におしいことに、それを推し進める時間もなく、ガンに倒れてしまった保苅氏。
 生きていれば、今までの西洋的な価値観からのみ描かれてきた歴史に、新たな視点からの全く新鮮な歴史現れてきたのかもしれないと、本当に悔やまれます。合掌。
 

<汗の内向>
長岡@気流堂 2005年09月28日(水)07:111
 
 暑さ寒さの彼岸まで、とは昔の人はよく言ったもので、本当に、彼岸過ぎると、急に涼しくなってきましたね。
 乾いた秋風が吹くようになると、泌尿器系と咽頭系のトラブルが生じやすくなります。
 夏、汗をかいて毛穴が開いていた皮膚が、乾燥した涼しい風にあたると、毛穴が閉じ、しかし、からだはまだ、夏の代謝状態であるために、汗として放出されるはずの水分が、からだに内向することになります。
 その結果、水分代謝系統である、泌尿器や咽頭系に負担がかかることになり様々な症状がでることになります。
 膀胱炎、腎盂炎、扁桃炎など、もともとそれらの系統が弱い方に上のような症状が多くなるのが、この時期です。
 また、食欲の秋といいますが、内向した汗の成分は、胃液として多量に分泌されるようになり、食欲が亢進するのです。
 内向した汗は、やはり、からだの外に積極的に出すようにしましよう。
 そのためには、適度な有酸素運動、半身浴などで、汗をかくことなどが効果あります。
 また、鍼灸の元となっている理論に中国の五行説があります。それは、世界のすべてを、5つのエレメントい分類するものなのですが、木・火・土。金・水の5つに分類されます。季節も春・夏・土用・秋・冬とそれぞれにあてはまり、味にかんしても、酸、苦・甘、辛、塩辛と対応します。
 秋は、辛い味が有効な時期です。辛いカレーを秋の夜長に食べて、汗をかいて体調を整えるのはいかがでしょう?

<想像の共同体>
長岡@気流堂 2005年09月21日(水)06:59
 
 在米英人政治学者ベネジクト・アンダーソンの「想像の共同体」を再読しました。
 この本は、私たちにとって、所与と思われている「国民」なる概念が、じつは、18世紀ヨーロッパ、王制が崩壊した後に創り出されたものであるということを明らかにしました。
 出版資本主義の発達により、新聞が刊行され人々に広く読まれるようになります。
 単一の言語で書かれ、同じ紙面上に、同じ日付で起きた出来事という時間的な共通点のみで、政治・経済、はては、些細な出来事までが、並列に配置されます。それを日々眺めるなかで、読者に、同じ言語を話し、あたかも紙面に配置されるように、ある限られた同じ空間が想定されるようになります。それが、国民の概念というのです。そして、一旦創造された国民なる概念は、との地域の固有の民族の伝承などと結びつき、あたかも、古来から面々と続く統一した国民なるものが存在するかのように、人々が信じていくというのです。
 日本国民の場合も例外ではなく、明治以降、他の国民国家に対抗するために、ヨーロッパに1世紀ほど遅れて創造されました。ただ、天皇家の一系が古来から続いていたこと、地理的条件、長期にわたる鎖国の影響から、単一の言語、文化が作り出されて、浸透していたことが、日本国民の唯一性、特殊性を錯覚させるように作用したと、氏は解説します。
 それに属するものとして、会社のため、地域のために死をかけることは不可能ですが、家族のため、親友のため、そして、国のためには、死をもいとわない衝動が生まれる可能性があります。
 それは、その集団に生れ落ちたという、全くの偶然が引き起こした、「運命性」が、属する者に強く感じられるからです。
 現在世界各地で引き起こされている民族間の対立、紛争は、その基盤となっている国民というものが、人間の想像力によって、創造されたということを深く考察すれば、そこに、ダイデンティテイを置く事の不安定性、無根拠性を改めて考え直すことになるのではないかと思うのです。

<真の自由とは?>
長岡@気流堂 2005年09月15日(木)07:23
 
 オーストラリア在住の鬼才博徒、森巣博氏の著作を読みました。氏は、30年間に渡って、日本を離れ、世界各地で博打の常打ち(いわゆる職業としての博打?)生活を送っているユニークな方です。パートナーは著名な政治学者、息子は天才的数学者という、「無境界家族」も、これまた、ユニークです。
 博打という、勝負卓を囲む相手の勘、運だけが、すべての世界で生き続けた氏の実感は、「民族というものはない」「国境はない」というものです。今世界中で盛り上がっている、民族運動、宗教的対立が引き起こす人間の情念は、アイデンティテイの不安を打ち消すため、心の中に境界を築き、そして、自と他を別け隔てる欲望から生じていることを、氏独特の表現で激しく指摘します。
 氏は、マイノリティが生き難い世界は、マジョリティも生き辛いはずだといいます。なぜならば、ごく普通の感受性を持ちえる人であるならば、抑圧されて、不幸な人たちを見ることは耐えがたいことであるはずだから。
 民族、階級、職業様々な、差異化を生み出している、自分自身の心の境界を見つめなおし、それを取り払う努力をしていることによって、真の自由を獲得出来るし、実際、氏はその生き方において実践し、そして、獲得した自由を思う存分享受しているようです。
 その反面、自由とは、確立した個の自己責任の上に成り立っているということ。博打という、一歩踏み外せば、屍累々の世界を生き抜いてきた氏の生き方で、それを私たちに示します。

<キング流小説作法>
長岡@気流堂 2005年09月07日(水)09:57
 
 スティーブンキングの小説作法をとても興味深く読みました。
 当代きってのエンターティンメント小説家の、創作に関しての秘訣など、彼の奇想天外なアイディアの宝庫はどこからくるのか?といった、月並みな読者の好奇心を、彼一流の語り口で披露したものです。
 で、その秘訣とは。とにかく書きたくて書きたくて堪らない衝動が、心の底から沸き起こり、それを発酵、維持し、完成させるまで持ちこたえられるかということにつきるということでした。
 それは、彼にとって、物語を書くことは、「書斎のドアに鍵をかけ閉じこもる」という肉体的には孤独な作業であるが、そのかわり、創作の世界に浸るという、限りない精神の自由を体験できることなのです。
 小説を書く快楽の自由のために、売れない時代には、洗濯工場の隅で、トレーナーハウスの炊事場で、現実がいかに過酷であっても妥協せず、己の書きたいという欲求に従うことが必要であるということも。
 そのような自由を尊ぶ彼の考えは、彼の母親の完全に独立した自我を貫きとおした一生と、彼の作品の最大の理解者であり、批評家であり、また「完全に寄りかかることなく自立している妻」の存在が、大きな影響を与えていることも感じました。
 本当の意味での、心の自由とは、おのずから創作欲求が沸き起こることなのかもしれないと、キングの作法から感じました。

<オリエンタリズム>
長岡@気流堂 2005年08月31日(水)20:31
 
 先週講演を聴いたことから、在日の社会学者姜尚中氏の著作を数冊読みました。
 氏の生い立ちを記した「在日」を読むと、差別と困窮の中にも、決してルサンチマンに陥らず、底抜けにあたたかい両親をはじめ在日の人たちの愛情に包まれて育ったこと。大学時代アイデンティテイに悩み、ルーツを確かめに韓国を訪問することをきっかけに、それまでの日本名を棄て、本名姜尚中を名乗るようになるまでの心の葛藤。そして、怒涛のような民族運動、そして、研究者としての苦難に満ちた道のり。
 私が氏の講演から感じたことは、氏の誠実な人柄と、そして、全く自身のポジションがずれがないことからくる、確信に満ちた能弁な主張でした。
 忙しい研究生活に加えて、多くのマスコミへの登場、講演などを積極的に引き受けているのは、氏の心の中に、多くの思いを抱えながら、沈黙の中に消えていった両親を始めとする在日1世の方の悲願、祖国統一を達成したいという使命感だと知りました。
 そのような氏が、ユダヤ人のドイツの社会学者ウエーバーや、在米パレスチナ人社会学者サイードを深く読み解くことが可能なのは、在日という、外部性によるものなのかと感じました。
 サイードのオリエンタリズムとは、ヨーロッパにおいて、古来から非ヨーロッパ、特に中東地域に対する言説の中に潜む、虚構としてのオリエント、それが、エキゾチズム、神秘、あこがれの底に隠された、差別、蔑視、嫌悪を再生産する装置となっていることをあばいたものです。
 サイードにそのような視点が生まれたのは、やはり彼自身が、アメリカの中で、他者、外部的存在であったということだと思います。
 姜尚中氏も同様な在日の立場から、他者・外部を生み出す機構、偏狭なナショナリズムを克服し、政治的実践としての東北アジアの超国家の構想を提案します。
 今日、韓国からヨン様が来日し、6000名の人たちが殺到ました。「女・子供」のそのような熱狂は、もしかすると、オリエント的なものをから生み出されながら、それを内部から侵食し無意味化するシロアリのような作用を及ぼすかも知れないと、ヨン様ならぬ「カン様」に心ときめく私はそう思うのでした。
 

<美と生命力>
長岡@気流堂 2005年08月24日(水)07:03
 
 自身が体験したシベリア抑留生活を描きつづけた画家、香月泰夫の一生を、自分のジャーナリストの駆け出しのころ、香月の体験談のゴーストライターをした立花隆が書いた本を読みました。
 香月泰夫は、私の故郷山口の実家の近くにアトリエを構え(今は、香月の建築家になった二人の息子さんが設計した美術館になっています)シベリアシリースを生涯に渡って描きつづけました。
 立花氏も述べているとおり、香月の作品は、画集でみてもその真意は伝わらない、生の画は、それだけ、圧倒的な迫力で見るものをひきつけます。その巨大さ、漆黒の色、描かれた人々の表情、彼の画に対峙する時、見るもの自身の心の中をわしづかみにされたような気になります。
 立花氏の香月泰夫へのインタビューと実際にシベリアの捕虜収容所後の取材の体験記などから、アウシュビッツ体験と並ぶ過酷な捕虜生活を窺い知ることが出来ました。
 寒さと飢えと絶望。およそ人間としての尊厳を奪い取られて、奴隷のようにもくもくと過酷な労働を強いられる日々。
 その中で、次々に飢えと疲労のため同胞が死んでいきます。しかし、香月泰夫は、どちらかというと、虚弱な体質(丙種合格)にもかかわらず、生き延びることが出来ました。
 それは、必ず生きて日本に戻り、画を描きたいという執念と、そのような過酷な非人間的な状況におかれても、何気ないことに、美を見出す彼の画家としての本能が、生き延びる原動力となったようです。
 重労働で疲れきった身体にも、シベリア大地に沈む太陽の美しさ、林に舞い散る雪の結晶、果ては、切った切り株の形にも、美を見出し、その美しさに没頭する。美に感応する力=生命力となったようです。
 それは、一瞬でも、過酷な現実から逃避できて、心に快楽を注ぐことが出来るからでしょうか。
 彼の体験から、病と美の関係を考えるヒントを得たような気がします。

<老いる準備>
長岡@気流堂 2005年08月17日(水)10:39
 
 フェミニストの社会科学者上野千鶴子氏の、介護・障害者援助についての著書を読んでいます。
 氏は、マルクス主義フェミニストです。つまり、今ある女性の状況を、男性権力による抑圧ととらえ、それからの自由を標榜する主義です。
 氏の著作は初期のころからずっと読んで着ました。自分自身の言葉にならない生き辛さ、男性との関係性における不自由さに、ある視点を与えてもらい、ずいぶん明確にすっきりとらえることが出来たように思います。一方で、どんな思想も、思想家自身の生い立ち、育った家庭環境によってつむぎだされたことから自由になることは出来ない必然性からか、氏の主張に、育った家庭環境の違い、世代の違いからくる違和感も抜くいえないものとして、ちょっと距離を置いてとらえている、私にとって、上野千鶴子氏はそんな存在です。
 フェミニストとして活躍してきた氏が、何故、老人介護や障害者にかかわるようになったのか、不思議に感じましたが、「女性問題も、老人も障害者も、社会的弱者が、弱者のまま、受け入れられ、自由に生きていく社会が、私の望むもの」という氏の主張は腑に落ちました。
 今までのフェミニストの主張は、「(男に頼らない)自立した大人の女性になる」ことを目標に掲げ、男の出来ることはがんばって女性もやり、力関係において対等であるように、女性自身が自分自身を叱咤激励し、強い女になることを強いていたと氏は言います。
 しかし、それでは、その女性が老いて必然的に弱者になったとき、弱者を否定したきたことがかえって、自分自身の首をしめることになるのではないかと。
 だから、上野氏が、老人介護の問題、障害者問題にかかわりを持つようになったのは、自身が、老人の領域に足を踏み入れる年齢になったことと、弱さが弱さのまま、自分の主張を誰気兼ねなくいえるような、やさしさ、思いやりの持つ、真綿でくるむような抑圧をどうしたらなくして、自由に生きられるかを考え実行していくためであるそうです。
 老いるということは、人が誰かの役に立つ、何かを為すということに存在意義を立ててきた近代の価値観を内在させてきた、私たち近代人にドラステックな変換を強いるものであるのだと思いました。

<セレンディビティ>
長岡@気流堂 2005年08月11日(木)07:26
 
 今週も、脳科学について。
 「セレンディビテイ」という言葉は、最近読んだ本、茂木健一郎、久保田競、澤口俊之氏のそれぞれの著作の中で、脳についての重要なキーワードとして出てきます。
 セレンディビティとは、何気ない日常の出来事がきっかけになって、それまでの価値観が大きく変わるような発見が起きることをいいます。
 例えば、リンゴが落ちるのをみて、ニュートンが万有引力を発見した?ように、ケクレが夢で円形につながる猿を見て、ベンゼン環の構造を思いついたようなことがそうです。
 セレンディビテイが起きるには、それまでに、そのことについて考えらえるだけ考えている、いろいろな情報・知識があらかじめ、発見者の脳に刻み込まれているという準備が必要です。
 リンゴが落ちるのをみたことがある人は、ニュートン以前にも多くいたでしょうが、だれも、それから引力についての考察を引き出さなかったことが、それを物語っています。
 脳は、意識に上らなくても、一度経験したこと、体験したことは記憶として蓄えらえています。それが、ふとしたきっかけで意識に上ってくることがあるのです。
 だから、セレンヂィビテイを引き起こすには、出来るだけ多様な知識を取り入れ、体験をし、その上で、脳にストレスがかからない、リラックスした状態にしておくことが有効です。
 夏休みに日常とはちょっと違った時間・空間で、心身ともにリラックスして、セレンディビティなひと時をお過ごしください。

 

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