<身体に良い環境変化と悪い変化>
長岡@気流堂 2005年03月30日(水)11:03
 
 4月から新しい生活をスタートされる方もいらっしゃると思います。
 入学・就職・転居など、生活環境も変化する季節です。
 身体にとって、この環境の変化は、どのように作用するのでしょうか?
 もとより、毎日ルーティンな生活を送っていたとしても、それは全く変化がなかったわけではなく、日々過ごしずつ、季節の変化も含めて、からだは環境の変化に曝されているのですが、その変化は、からだの内部環境(ホメオスタシス)が、その変化に対応できる範囲で過ごしていたはずです。
 しかし、急激で、大きな環境の変化は、衣食住・人間関係・時間の過ごし方等いろいろなことにおいて、今までのようにはいかず、慣れない環境に対応を強いられることになります。
 でも、しばらくすると、その環境にもからだは順応していき、徐々に馴染んできます。
 身体が順応するまでは、それが、ストレスとして感じらます。
 そのストレスを出来るだけ少なくすることが、上手な環境に対する対応だと思われます。
 そのためには、変化しなくても対応できる日常生活の習慣を、出来るだけ今までどおり、意識して続けることが大事です。
 その習慣こそが、あなたのからだを、身体たらしめていた核であったのですから。
 中心となる核は変化しないで、フレキシブルに変化可能な部分は積極的に変化に対応していくことが、からだにとって、リフレッシュ作用を及ぼし、新陳代謝をうながし、新生するチャンスを与えます。
 これが、からだにとって良い環境変化となると思います。

<宇野千代語録>
長岡@気流堂 2005年03月24日(木)07:25
 
 ここ数日、宇野千代のエッセイを読んでいます。彼女はご存知のとおり、99歳の長寿をまっとうした著名な女流作家です。
 晩年彼女の天衣無縫・自由闊達な思想・生き方が、多くの女性誌などで取り上げられ、彼女のように自由に生きてみたいというあこがれの社会的な現象にもなりました。
 今回、あのように、闊達で、美しく老いる秘訣を知りたいと、彼女のエッセイを数冊読んでみて感じたことは、意外にも、宇野千代はアバンギャルドでも「飛んでる女(80年代にはやった言葉)」でもなく、紛れもなく、明治の女だということです。
 全く保守的な田舎で生まれ育ち(私と同郷)、父自身は放蕩三昧であったにもかかわらず、その命令にはどんな理不尽なことでも、それこそ、身体的に無条件で従ってしまうようにしつけられた語っています。
 しかし、それに対する解釈が、彼女らしいのですが、「そのおかげで、どんな困難なことも耐えられらた」というプラス思考。
 特に当時ではかなり派手で目立ったと思われる男性遍歴に対する誹謗中傷も意に介さず、自分の欲望のおもむくままに突き進んでいく潔さは、何かに反抗してとか、自分の主張を表してでないところに、自然体の彼女の生き方が現れているのだと思います。
 そんな彼女の長生き生活の秘訣は
「辛くても何でも、そこのところを通り抜けなければ、どうしても前に進めないのです。そう考えたとき病気は人生の先生になります。」
の言葉に表れているように思います。
 辛いことに身を投げ入れ「受け入れ、馴染む、抵抗しない」処世術こそ、彼女の柔軟な生き方のコツであり、それが、若さのひけつだったのだとあらためて感じました。

<ガン告知と余命告知>
長岡@気流堂 2005年03月18日(金)09:30
 
 最近、大学時代からの友人のお父さんが肺がんで亡くなられたこともあって、ガン関係の本をあれこれ読んでいます。
 その中で、外科医である土屋繁裕氏の「このガン切るべきか?切らぬべきか?」で、ガンと診断診断されれば、有無を言わず手術という実態を、現場の医者の立場から批判したものであるだけに、興味深く読みました。
 一まとめに、ガンといっても、初期の原発ガンから、かなり進行したもの、さらに、再発・転移ガンの場合と、それぞれの状況に応じて、様々な治療方法があるのだと改めて知りました。
 そして、ガンの中には、発見された段階で、手術をしても治癒する見込みがかなり低いものもあり、それを手術するということは、術後のQOLを著しく低下するため、患者の余命をかなり苦痛に満ちたものにしてしまうこともあるということも、改めて考えさせられました。
 ガンの種類によっては、手術よりも、放射線治療・抗がん剤などのほうが適応が高いものもあり、また、抗がん剤をガンを抑える程度の量にして、他の元気な細胞にダメージを与えず、ガンを休眠状態にする、休眠療法や、自律神経を活性化して免疫力を高める方法など、様々な治療法があり、効果が認められているようです。
 ガンと診断されたとき、ガンは特定の種類以外は、進行の遅いもの(発見されるまでにすでに数年を有している)であるという自覚を持ち、セカンドオピニオンをすること、医者かららの受身の情報だけでなく、自分自身で本やインターネットなどを駆使して情報を集め、治療に対する自己判断を立て、主体的にガンと取り組むことが必要だと痛感しました。
 そして、ガンの告知は治療の上で必要だと思われますが、余命告知は、慎重になされるべきだと、自分自身は多分余命告知を望まないだろう事からそう思いました。

<41歳寿命説!>
長岡@気流堂 2005年03月02日(水)08:13
 
 食生態研究者である、西丸震哉氏の「41歳寿命説」「食物崩壊」「体内崩壊」を読みました。「41歳・・」は、90年代初頭に出版されて、バブルに沸く当時の世相をばっさばっさと切り捨てる氏の言説がかなり話題となり、私自身も記憶に残っています。その中で、1957年以降に生まれた世代は、41歳になると半減しているという予想を、その世代が育ってきた食べ物・環境の影響からしていました。
 実際に、私を含めその世代が40代になる現在、氏の指摘している現象は、表面上生じていないように思えて、「何だ。富士山の噴火と同じ?だ」と氏の説の荒唐無稽さをあざ笑うことが出来るかもしれません。
 41歳寿命説とは、今日本の平均寿命が、男性77歳、女性83歳を超える実態は、高齢者の生まれ育った環境の結果であり、それ以降特に、高度経済成長期以降に生まれ育ってきた世代には当てはまらない、とするものです。
 今現在、80歳以上の高齢者の生まれ育った時代は、赤ん坊は、15%が生まれてすぐになくなり、その後も、乳幼児期に、現在ならば助かるような感染症で10%ぐらいなくなり、青年期には結核などでなくなりと、成人するまでに3割が亡くなっていた時代に生き残ってきた、強い遺伝子、体質を持った方々であるということ。そして、人類は縄文時代からほとんど遺伝子が変化しておらず、だから、現代人も今の飽食の環境でなく、飢餓が日常であった縄文時代に対応する粗食環境が本来のベストな生き方であるということ。
 だから、高齢者の生まれ育ったころの日本の貧しい食住環境、粗食、冷暖房がない生活は、実は人類に適した状態であったということ、だから、彼らが長生きをしたのだそうです。
 しかし、1957年以降に生まれ育った世代は、それから遠く離れた環境であるために、今の平均寿命をまっとうすることは出来ないそうです。
 氏の90年代の分析によると、1957年に生まれた世代は、30代に差し掛かるころでしたが、10年前の20代のころの人口と本来ならば同じでなければならないのに、30代の人口が減少しているということを根拠に挙げられていました。
 実際、私を含むその世代が寿命?である40代に差し掛かっていると、ばったばったと同世代の人が亡くなっているかというと、???
 多分41歳というのは、センセーショナルな効果をもたらすためであるのでしょうが、われわれの世代の寿命が80歳になるとはとても思えない実感があります。
 その根拠は、氏のいうところのものと重複するところもありますが、それに加えて、同世代の特に都会で生活する人の生活、忙しくて、食・住環境がかなりおろそかにならざるをえない生活環境を考えると、これをどうにか変えない限り、41歳が51歳に引き上げられるだけで、その危機は続くのではないかと感じられるのです。

<病は気象から>
長岡@気流堂 2005年02月25日(金)08:41
 
 気象予報士の村山貢司氏の著書、「病は気象から」を興味深く読みました。
 昔から、神経痛は、天気の悪くなる直前に悪化する、喘息は台風が近づくと起きるなど、語り継がれてきた、病と気象の関係をが、気象病と定義されるようになってきたそうです。
 昨今話題になっている花粉症も、花粉の飛来が気温、湿度と深い関係があること、また、オゾン層の破壊がもたらした紫外線の害も、日照の強さ、長さが影響をあたえるということから、気象病に含まれるということも知りました。
 気象の中でも、気温・気圧・風力、そして、その急激な変化という要因が、病に影響をあたえているそうです。
 神経痛が、天気が崩れるとき(低気圧の接近)により悪化するのは、人間の身体には、1平方センチメートルあたり、約1キロの気圧がかかっており、からだは内部からそれを押し返す力が働いて、表面で平衡をたもっているのです。しかし、低気圧が急接近すると、内部からの圧力が強くなり、血管・リンパ管や神経を圧迫することにより、代謝平衡が崩れて、痛みやむくみなどの症状が引き起こされるようです。
 また、血液中の気圧(酸素量)と自律神経は密接に関係していて、その平衡バランスが崩れることにより、気管支平滑筋を司っている自律神経の働きがうまくいかなくなり、喘息発作がおきるそうです。
 また、低温による血管の収縮、高温による脱水症状などによる気温との関係、まt、あセロトニン分泌の変化が日照時間と関係しているということとも上げられるそうです。
 病まではいかなくても、朝からどんよりとした曇りの日や、日中の気温も上がらないしとしと雨の日などは、なんとなく気分がすぐれませんよね。
 村山氏は、このように、からだ特に病を持っている敏感になっているからだは、顕著に、、気象の変化の影響を受けるため、その変化をあらかじめ予想できるとしたら、服装、投薬、体質改善・外出行動などを調節することにより、その影響を出来るだけ最小にすることが可能であることを示唆しておられます。
 自分自身の身体が、気象にどのように影響されているのか、記録をつけて、そのパターンを認識することは、健康の自己管理のためにも必要だと思います。

<月の魔力>
長岡@気流堂 2005年02月09日(水)07:32
 
 今日、2月9日は旧正月です。旧暦の正月は、年が明けて始めての新月の日です。昨日は、大晦日ということで、中国にならって、水餃子を皮から作りました。今朝は、こねる際に力を入れすぎたのか?腕が筋肉痛です。
 治療室に、1年の月の満ち欠けが見通せる「月齢カレンダー」が貼っています。それを見ていると、「今日の月はどんな形をしているか」が一目瞭然となります。
 満月が、比較的月末に多いというのも発見です。出産と満月の関係は、昔から言われています。その日が、月、地球、太陽が直線に並ぶため、引力の影響を受けるため、潮の満ちひきでも、大潮の時は、満月になるように、水分が60%以上という人間の身体も、その引力の影響を受けるのでしょうね。
 西洋では、「ルナ(月のラテン語)テック」といって、満月の夜に精神的に錯乱する傾向のある人を指していう言葉があります。実際にに精神病院に運びこまれる患者の数は満月が最大になるという統計も報告されています。狼男伝説もそのような風潮から生まれたものかも知れません。
 東洋思想では、陰陽論が、すべての基本となります。太陽の作用に例えられる陽だけでなく、月の作用に例えられる陰がなくては、すべての物事がうまくめぐらないとされます。
 陰的なものを忘れ、陽的なものだけを重陽する西洋文明の風潮が、様々な公害などを引き起こしてきているように感じられます。
 日本は古来から、月をめで慈しむ土壌だったはずです。これからは、月に関心を持ち、自らの中に陰的なものをいかに取り入れていくか、常々考えていきたいと思います。
 

<風水と家相>
長岡@気流堂 2005年02月02日(水)07:55
 
 最近、建築関係の本を数冊読んでいます。若いころは(笑)、衣食住のうち、食のみ(衣は今田に私の人生の重要度い占める割合は、極端に低い)であったのですが、治療院を開院して、ものすごーくいい環境で仕事ができるようになって、心身ともに絶好調になったことから、「住」が、文字通り住む人に及ぼす作用について、考え始めたかたです。
 若いころは(そんなに年でもないのですが)、自分をとりまく環境がどんなものであっても、それに取り込まれないぞ!という気負いがあったような気がします。だから、ことさら、住むところにこだわったり、インテリアい凝ったりするのに、全く関心がなく、むしろ、そんな「マイホーム主義」的なものを、なんだか、利己的な、世界がせまいような気がして、あえて、背を向けていたような気がします。
 でも、何度か引越しをして、そして、今の住環境に落ち着いて、こんなにも、人間って、住む環境に影響されるもんだなあと日々実感するようになりました。
 人間なんて、しょせん、サルトルのいうところの「気分」から、逃れることは出来ないのですね。そして、その気分こそは、何気ない日々触れ合う、身近な環境にかなり支配される。。。
 という次第で、建物・建築に興味を持ち出したのですが、今まで、全く関心のなかった、風水・家相という事柄が、意外とそれにかかわっているのだと知りました。
 私自身全く信心がかけているのですが、鍼灸という東洋医学に関する仕事をしているかぎり、それをさけて通ることは出来ず、なにより、陰陽五行論をはじめ、方位・風水など、東洋医学の理論の根底にあるものなのですから。
 ただ、それは、かなり迷信と結びついていたり、その起源が、中国の風土・政治情勢から生まれていたりと、日本の現代の状況においては、あまり意味のないものもたくさんあるように思えます。
 ただ、西洋建築風の作風を持つどの建築家の著作を読んでも、建築の際、地鎮祭は必ずされているようで、その目的には、現場で働く人たちのコミュニケーション円滑のためということもあるにしても、やはり、「土地の神様に、お伺いをたて、騒がしさを許可してもらう」という、地の力に対する信仰があるように思えます。それは、数多くの建築現場において、身をもって感じ取った感覚なのでしょう。
 とはいっても、現代の日本、それも東京の過密した地域にすむものにとって、正式な風水・家相を実践していたら、とても暮らしていけなくなってしまいます。
 ちなみに、風水とは、中国古来の風土・風習と結びついた環境学みたいなもので、家相とは、それを住む建築においてとりいれたものだそうです。
 「現代家相学」の著者によると、家相の中でも、実際に住む際に考慮すべきことは、東西南北の方角が、日当たり、湿度、風通しなどの条件において、人間の身体に及ぼす影響だそうです。
 様々な制約の中で、そして、実際のおのおのの生活の仕方において、それらの自然条件をいかにうまく住まいに取り入れていくかということが、現代における家相の意味だと言われています。
 上の三条件の中で、一の2つの条件は、わりにすむ際に考慮しやすいのですが、実は人間の身体にそれ以上に大きな影響を与えているのが、最期の風通しだと思うのです。
 というもの、東洋医学の根本は、からだにうまく気がながれていることが、健康であるということだからです。気とは、すなわち風おn流れ、締め切った風通しのわるい環境で暮らしていると、自然とからだの気の流れも悪くなり、病気になってしまいます。
 だから、住む条件を考えるときに、気の流れ=風通しを第一に優先することが大切だと思うのです。

<炭の効用>
長岡@気流堂 2005年01月24日(月)07:58
 
 1月に入り、寒い日が続いていますね。からだにとって、冷えは一番の敵、血行を悪くし、それによって、細胞の新陳代謝を滞らせ、様々な病気の原因となります。
 そこで、お勧めなのが、炭です。実は、最近この炭を使い始めたのですが、その効果にびっくり!せっせと100円ショップ(笑)で、100円備長炭(これでも結構効果があります)を買い占めて、使っています。
 まず、からだを温めるために、お風呂の水に良く洗って天日干しした炭を麻の袋にいれてしばらくおき、沸かします。
 炭の吸着作用により、水道水の塩素やトリハロメタンなどの有害物質が除去され、また、逆に炭から、カリウムなどのミネラルが溶け出し、さらに、水の分子(クラスター)が小さくなることで、からだの中に水分が浸透しやすく、さらにさらに遠赤外線効果もあって、ぽかぽか、しっとり効果が生じるのです。
 半信半疑で始めてみて、翌朝その効果に驚きました。乾燥のため、粉をふいたようになっていた肌がしっとりとしていました。
 それからは、水道水に炭をガーゼに包んで7時間放置し、沸騰させることにより、ミネラルウオーターのような味わいを作り出したし、治療室の4隅に炭を置くことで、ニオイの吸着をしたりして、炭の効用を楽しんでいます。
 ただし、炭のマイナスイオン効果は、マイナスイオンそのものの存在と作用は実際には存在しないようなので、期待はしていません。
 昔は練炭を火鉢でもやして、冬場の暖をとっていましたが、機密性の高い現代の住宅では、一酸化炭素中毒が怖くて出来ないので、せめて、以上のようなことをして、自然が人間に与えてくれる恩恵を受けようと思っています。

<腎と生命エネルギー>
長岡@気流堂 2005年01月02日(日)07:24
 
 あけましておめでとうございます。
 去年は、年末押し迫っての、スマトラ大津波・をはじめ、新潟地震・台風等々の自然災害が起こり、多くの方々が被害に遭われましたが、今年は、平安な年であることを祈願します。
 寄生虫の研究で有名な、藤田紘一郎氏の「水の健康学」を読んでいたところ、
−老化とは水分喪失のプロセスであるといえる。加齢とともに、体内の水分量が減っていくこととの理由の一つに、腎臓での水分保持能力(老廃物を濾過した後、水分を再吸収する能力)の低下が考えられるー
と書かれてありました。
 東洋医学では、腎=生命エネルギーと考えます。腎(腎臓という器官だけでなく、それの司る機能全般を含む概念)には、先天の気つまり、親から授かった命の源が宿るところであり、それが、食べ物などから得られる後天の気の作用を受けて、生命が営まれるとしています。
 先天の気は、生まれた時に授けられ、その人が生きていく間に成長し、生殖と言う形で、次世代にそれを伝え、年とともに衰え、やがて、それがなくなるとともに、生命も終えます。
 そのような、腎の働きを、腎臓の水分調節の働きからみたものが、上の説明であると思えます。
 面白いのは、身体の水分調節こそが、生命エネルギーの源であり、それの衰え=老化であると藤田氏が述べているところです。
 人体の60%を占める水分ですが、地球上にある水を、身体の中に取り入れ、命の営みをする働きがうまくいかなくなると、それの存続が不可能になる。
 腎が、生命エネルギーの源であるという東洋医学の見解がますます重みをもって感じられました。

<痴呆・寝たきりと主体の崩壊>
長岡@気流堂 2004年12月24日(金)09:20
 
 介護問題でユニークな視点から発言さrている、PT(理学療法士)の三好春樹氏の著作を数冊読みました。
 私自身、老人介護施設に2年弱、リハビリの仕事として従事した経験から感じていた数々の疑問点、考えなどを、同じ介護の現場からこのような、「血の通った」意見が生まれてくるということに感心しました。
 中でも、介護問題の中心となる、痴呆・寝たきりが、実は、身体的なことが原因で生じる割合は少なく、主に、介護される老人自身の主体が崩壊した際に必然的に生じる現象だという鋭い意見に感動しました。
 脳梗塞・脳出血・パーキンソンなど身体の不自由な疾病にかかったとしても、残された身体機能を使うことにより、それなりの生活を送ることはできる。しかし、それらの状況が、本人の生きるという意欲・もしくは周囲の思惑などにより、周りとのコミュニケーションを遮断して、閉じこもってしまうと、3年も経たないうちに、必ず、寝たきりになってしまうそうです。
 また、痴呆であっても、危なっかしいので、一日中ベットに寝たまま、もしくは家から出ないと、それも寝たきりになってしまうそうです。
 その原因は、身体を使わないことによる、筋肉や内蔵機能の廃用性萎縮によるものなのですが、それとともに、主体が崩壊しているというのです。
 主体つまり、老人本人が「生きたい」として、積極的に世界にかかわっていくという生き方の姿勢が崩壊してしまう、そのことの恐ろしさが、老人介護の裏に大きく横渡っているのです。
 確かに、私が働いていた病院のデイサービスに毎日通ってきているお年よりは、脳梗塞、脳出血、骨折・パーキンソンなど、原因は様々でしたが、皆さんそれなりに、リハビリをされて、デイセンターで毎日行われる行事に楽しそうに参加されていました。
 そこでは、皆さんそれぞれ不自由な身体に悩みを抱えていらっしゃったでしょうが、少なくとも、生きる意欲は、私たち介護をする若者よりも、ずっと強く感じられました。
 三好さんは、私が働いていたデイセンターでも採用されていた、様々なレクリエーション(遊リクエーション)の発案者です。それには、まるで、幼稚園のようだ、長年生きてこられたかたを、バカにしている、とか、もっと、専門的なリハビリをすべきだとか、批判的な意見もあるようです。
 私自身も、楽しそうに遊んでいるお年よりを傍目に見ながら「私が年をとったら、あんなことしたくないな。」と、独りでいることが大好きな私は、集団ハイテンションの状態を見てそう感じていました。
 しかし、三好氏は、脳梗塞のマヒなどは、入院して退院して3ヶ月ぐらいで、機能的にそれ以上回復するのは、難しいというのです。それ以上回復しない体に望みをかけて、リハビリするよりも、それよりも、それからその不自由な身体で生活していくその技術を磨いていくほうが大切であるといいます。そして、そのためには、独り家に引きこもってリハビリをするよりも、同じように身体が不自由な人たちと、楽しくコミュニケーションしながら、遊びの中で、自然と身体を動かすことにより、生活に必要な動きを引き出していくことが大切だと。
 私が見ていたお年よりは、センターで楽しそうにはしゃいでいる姿だけであったのだと、そのとき感じました。家においては、長年培われてきた家族の関係の立場があり、そこでは、それを踏み外せない枠があって、それが、身体が不自由になった立場の生活を苦しくしているのかもしれない、それが苦しくて、主体が崩壊していくのかも知れないと。 
 だから、ディセンターのように外部に触れることで、新たな主体が生まれてくるのかもしれないと、感じたのでした。
 それは、いくつになっても、本人がその気になれば可能であると思うのは、私の隣の100歳のおばあさんが、3年前からデイホームに通うようになり、お嫁さんが「それまで、家族の中では見せたことのなかった、素敵な表情をしていました」と言う発言の中にも現れているように思います。

<風邪と抗生物質>
長岡@気流堂 2004年12月20日(月)09:22
 
 師走になり、特に朝晩急に冷え込んできたことと、乾燥のために、にわかに風邪が流行してきました。今年の風邪は、喉と鼻をやられるようです。喉が痛くなり、咳がしつこくいつまでも続くようです。
 ところで、風邪にかかって、医者にいくと、よく抗生物質を処方されます。風邪はに直接効く薬はいまのところないです。
 風邪は風邪症候群を引き起こすウィルス疾患で、基本的に、細菌に効果のある抗生物質が処方されるのは、不思議な気がします。
 それは、風邪ウイルスによって免疫の落ちた喉や鼻の粘膜に、細菌性の炎症が生じるため、それに対して、抗生物質がつかわれるからです。
 だから、あまり喉がはれていなかったり、鼻水もずるずると水っぽいものであるウイルスの影響のある初期のころは、抗生物質が使われるのはおかしいはずです。
 抗生物質の濫用は、耐性菌を作り出し、院内感染の原因となるほか、健康な腸に住み着いている、善玉腸内細菌をも殺してしまうため、腸内の平衡バランスがくずれて、下痢・便秘やその他いろいろな弊害が生じてきます。また、抗生物質を多量に服用すると、身体がそれに対する耐性ができてしまい、効きにくくなるおそれもあります。
 風邪をこじらせると、気管支炎・肺炎などの重篤な病気になるおそれがあるため、抗生物質を効果的に使うことは必要だと思いますが、若い方で、体力・免疫力のある場合、喉が痛くなり、咳が止まらなくなり、黄色い鼻水が出てきたら、じっと養生して、栄養のあるものを食べ、自己免疫力で治していくようにして、できるだけ、抗生物質に頼らないようにしましょう。
 

<日本的な「気」>
長岡@気流堂 2004年11月26日(金)09:28
 
 日本人の精神の特徴的なあり方を述べた、土井健郎氏の「甘えの構造」を読んでいて、「気」についての記述がありました。中国で生まれた鍼灸などの東洋医学は、「気」を実態的な物質ととらえて、それが体内をとどおこりなくめぐることが健康であると定義されています。
 しかし、その「気」の概念は、日本に輸入されると、実態というよりも、精神のあり方と変わってきているように感じられていました。
 土井氏の考えも、「気」とは、こころがからだを通じて外界に働きかける仕方、ないし、そのベクトルをさす。瞬間、瞬間における精神の動き。
 確かに日本語で「気がきく」「気が散る」「気がのらない」など、気の動き、作用をとらえた言葉が多いように思われます。
 となると、「気」を実態としてとらえて、それを治療体系に組み込まれている、中国の東洋医学と、日本における東洋医学は、それを施される患者さん自身が置かれている、からだの「場」とも言えるものが、かなり違っているのではないかと思われます。
 「気」を実態と捉えて、それを物質のように客体とするのではなく、からだを包み込んでいる環境ととらえて、アプローチすべきではないか?などと、ふと感じたのでした。

<油断と風邪>
長岡@気流堂 2004年11月10日(水)08:25
 
 11月に入るとめっきり秋らしくなってきました。朝夕と日中の温度差が大きいために、風邪をひいている人が多くなってきました。
 「油断していたら、風邪をひいてしまった。」と、よく言われます。油断→風邪という図式を思い浮かべますが、油断=心もからだもだらけて緩んだ状態・・・・だから風邪をひいいてしまったのだ。というマイナスなイメージを、私たちは風邪にたいしてもっているように思えます。
 確かに、風邪になると、くしゃみ・鼻水・発熱によるからだのだるさなどの不快な症状に悩まされて、仕事や勉強の能率も下がり、非生産的な状況になってしまいます。
 しかし、整体の考えかたでは、そのような風邪に対する負のイメージを払拭してむしろ「風邪は(からだを)通過させる」と肯定的にとらえます。
 風邪は緊張したからだの「ゆり戻し作用」であり、からだに侵入してくる風邪のウイルスと戦うことによって、むしろ、からだの免疫作用が活性化され、熱による毒消し作用もあって、風邪により、からだが浄化されるのだと、考えるのです。
 ただし、そのためには、「風邪の上手なひきかた」というものがあり、すっと、風邪を「からだを通過させる」ように、1〜2日かかるというのが、風邪の上手な?ひきかたとされます。
 だから、上手にからだを「油断=緩ま」せないことには、風邪をひくことが出来ない(笑)のです。
 よく、忙しく緊張しているときには、風邪もひかないのに、それらが一段落して、ほっとした途端風邪をひきます。それは、それまでの緊張状態がそれ以上続いたら、からだが壊れてしまうというゆり戻し可能な限界を、からだが知っているからなのです。
 だから、油断することは、からだにとって、必要なことであり、むしろ軽く風邪を通過させるためにも、ぽかんと何も考えずに、積極的にからだを緩めてあげましょう。

<寝る子は育つ?>
長岡@気流堂 2004年10月27日(水)08:06
 
 10月は、台風・新潟の地震といい、自然の恐ろしさを改めて身にしみた日々でした。
 毎日続く雨に加え、「秋の日の釣瓶落し」で、日照時間も急激に短くなってきました。
 そうなると、「秋の夜長」となるのですが、いつまでも明るい夏の夕暮れと、猛暑による寝不足からようやく解放されて、思う存分寝ることができるようになってきたでしょうか?
 現代人の睡眠時間、特に東京などの都会に住む人々の睡眠時間が短縮する傾向にあるようです。その中でも、子供の睡眠時間がどんどん少なくなっているようです。それは、テレビ番組の深夜化や、受験のための塾通いと勉強のため、コンビニ、ゲームセンターなどの夜間営業の店が増えてきていることが要因となっているのでしょうか?
 夜になると眠くなるのは、暗さを感知すると、脳にあるセロトニンとよばれる物質が放出されて、それが眠りを引き起こすためです。
 だから、だんだん寒くなり、日が早くくれるようになると、人間のからだは、眠りやすくなるのです。
 しかし、そのような体の仕組みに反した生活をしていると、体内時計が狂ってしまい夜遅くなっても眠たくない、ふとんに入ってもなかなか寝付けないという現象がおきてきます。
 短い睡眠でも、深く眠れれば、からだに必要な休息は取れるという説がありますが、確かに、眠りの中でも、深い眠り(ノンレム睡眠)を効率よくとることによって、大脳が眠ることができ、ストレスなどをとることが出来ます。
 しかし、人間のからだは、起きている間中、重力によるストレスを受けており、また、細胞のリモデリングは寝ている間のみ行われています。そのためにやはり8時間以上は必要だといわれています。細胞のリモデリングがうまくいかないと、使い古された細胞をからだの中から除去することが出来ず、新しい細胞を作り出すことが出来なくなります。つまりは老化が進んでしまうのです。
 また、眠っている間に、成長ホルモンがつくられるので、育ち盛りの子供にとって、寝ることは、からだをつくることつまり、命をはぐくむためにも、十分な眠りが必要となります。
 夜の間はぐっすりと眠りからだをやすめ、日中生き生きと活動する。地球の営みにあわせた生き方をすることが、からだにとって、きっと心地よいはずだと思うのです。
 

<ナチスと健康>
長岡@気流堂 2004年10月21日(木)08:46
 
  外は台風の嵐が吹き荒れる中、思わず引き込まれて読んでしまいました「健康帝国ナチス」。作者はロバート・ピロクターという米の化学史家。
 ナチスと言えば、ユダヤ人収容所における人体実験や、精神薄弱人や、身体障害者の「安楽死」というゲルマン人優勢人種政策など、数々の恐ろしい政策が思い起こされます。
 しかし、本書では、特にガン治療に関して、ナチスは当時最先端の医療研究をし、予防医学においても、まだ喫煙とタバコの関係が明らかになっていない当時においても、国家政策として禁煙を勧め、禁酒・菜食主義的な自然食・ホメオパシーなどの自然治療を積極的に勧めた業績?があったというのです。
 その目的は、すべて、国民全体を戦争に勝つための「健全な肉体」にするためであり、健康政策はその手段であったのですが。
 われわれは、日々健康でありたいと願い、そのために、できるだけ、健康的な生活をしようと努力しています。健康であることは、快適な生活を送れることであり、たくさんの仕事をしてお金をもうけることでもあり、多くの人の役に立てることであり、その目的は個人個人で異なっていますが、すべて「幸せになるため」と結びついているように思います。健康であるということ=幸せという図式が、今日日本で生きるわれわれの健康に対する思いです。
 しかし、これが、国家単位の政策となると、その国に住む国民の幸せのための健康というよりも、「生産性」という概念が大きな目的となっているのではないかというのが、独裁者国家ナチスの政策から計り知れます。
 ナチスの求める、極端な理想主義的な「ボディ」は、ユダヤ人を始め、身体障害・精神障害・ゲイなど、彼らの考える「不純物」を嫌悪し、排除したがる潜在的なものが形作ったものかも知れません。それを、現在の禁煙・自然食・自然療法をすすめる人たちの心の底に同じものがあるというのではありません。
 ただ、ナチズムが、大衆に熱狂的に支持されただけでなく、当時のドイツのインテリもその思想に吸い込まれていったということは、単純なゲルマン人の純粋国家建設という理念だけでなく、その実践が、からだを通じて彼らに気持ちよさを与えるものも提供できたということも大きかったのではないかと思うのです。
 人間は、からだで感じたことをなかなか否定できないものです。
 こう考えると、われわれのからだは、ボディという物質的としての肉体だけでなく、様々なイデオロギーによっても観念的に形作られたyと言えるように思います。

<プラシーボ効果その1>
長岡@気流堂 2004年10月13日(水)09:43
 
 毎日鬱陶しい雨が続きますね。このようなどんよりとした天候の日は、なんだか気分のさえなくて重苦しくなったりします。
 それは、しとしとと降る雨や、薄暗い日差しのせいだけでしょうか?
 朝起きたら、「わっ、雨だ、嫌だなあ。会社に行くのが面倒・・・」と考えると、何だか、自然と、頭が重くなってきたり、だるくなったりしたのではありませんか?
 私たちのからだは、自分自身で思っているよりもすっと、心の影響を受けているのです。もし、今日、会社で楽しいことが予想されると、例えこのような天候でも、けだるいからだの症状は感じなくなってしまうのではないでしょうか?
 プラシーボ効果とは、特に新薬開発の際に、その効果を調査する際に、被験者に内緒で、実際の新薬と、そしてもうひとつは、表面上区別でくないけれども、全く効果のない薬もどきのようなもの(プラシーボ・偽薬)を投与し、その効果を調べるものです。普通に考えると、全く効果のないプラシーボに有効な結果がでるはずがありませんが、実際には、必ずある割合で、薬と同じ効果が出ているのです。だから、新薬の効果を見る際には、そのようなプラシーボ効果を差し引いて、その上で、有効性を調べるのです。
 「いわしの頭も信心から」というように、これが効くのだと信じると、人間の体の中で、薬と同じような効果を生み出す物質が出るようなのです。
 その仕組みはいろいろ複雑で、その人の感受性、生きてきた環境など、様々な要因が絡んでくるのですが、プラシーボ効果を、全くのいんちき、だまされやすいなど、マイナスの要因で捕らえるのではなく、逆に、こころが体を治す、積極的な治療方法としてとらえなおしてみてはどうかと思うのです。
 治療家として、患者を「だます」ことの効果を言うようであれば、まるでペテン師のように感じるかもしれませんが、実際に治療をしていて、病を治療することのうち、治療家が治すことのできる割合は、正直ごくわずかであるような実感を抱きます。その大部分は、患者さん自身の自然治癒力によるものであり、それが、プラシーボによって引きだせるのならば、暗示のかかりやすさというのは、立派な自然治癒力であると思うのです。
 暗示にかかりやすいということは、その患者さんが、心の底から、病を治したいと思っているその強さだと思うのです。 

<あなたのからだの主役は誰?>
長岡@気流堂 2004年09月26日(日)17:17
 
 鬱陶しい天気が続きますね。朝からどんよりとした雨模様を見ると、心も憂鬱、そして、何だかからだも重いだるいような気がして。。。
 ノーマン・カズンズの著作を読んでいます。彼は、アメリカ人で著名なジャーナリストでしたが、重い膠原病にかかってしまいました。もともと医療関係に造詣の深かった彼は、患者の精神性が病に与える影響力というものに関心がありました。それで、自分自身の病が精神性「気の持ちよう」とどのように関係しているのか?自分自身が実験台となり、オプティミックな精神が及ぼす病への良い影響を見出していき、ついには、病を完治するという奇跡を見をもって体験したのです。彼は、後に、これもかなり重度の心筋梗塞に襲われながらも、バイパス手術を拒否して、彼にとって、病を改善すると思われる、職・生活習慣・精神性の改善を行いこれも見事に克服した体験を持ちます。
 よく、ノーマンカズンズというと、「笑いによって、病を克服した」と短絡的に捕らえられていますが、彼の著作を読むと、確かに、ともすれば悲観的になりがちな病人である自身に対して、積極的に笑い(ユーモア・ジョーク)を取り入れていますが、決してそれだけでなく、豊富な医学的知識から、彼が判断した治療法を医者と相談しながら進めて行ったところに成功の秘訣があるように思います。そして、彼のそのような態度は、「自身の病に対しては、自分が主導権を握る」といった一貫した姿勢に貫かれているところが重要です。ともすれば、「すべてお任せします」的な、受動的な病に対する取り組みは、医者のパターナリズム(権威主義)を冗長させるのだと思います。自分のからだは、自分で守る。このような強い意志が病を克服する原動力になるのではないでしょうか?

<異常気象とからだ>
長岡@気流堂 2004年09月22日(水)09:17
 
 暑さ寒さも彼岸までといいますが、もう彼岸入りしたというのに、東京は30度を越す真夏日が更新されています。
 今年の夏は、梅雨明けが早かったことから猛暑の日が続き、暑さに強い私も、さすがに、めげてしまいました。でも、治療中以外、日中はエアコンを使わないこと(夜はタイマーで)、できるだけ体を動かすこと、そして、ビール以外(これが結構な量なのですが)冷たい飲み物をとらないということを心がけていたために、今年も夏も夏ばて知らず、元気に過ごせました。
 しかし、この東京の異常な暑さは、日本人のDNAが対応出きる暑さを超えているのではないかというのが、私の感想です。
 暑さによる、からだへの負担は、東洋医学では、暑さによる体液の消耗が上げられます。もともと、四川省などの暑さの厳しい内地を除いて、鍼灸などの中国医学はどちらかというと、日本に比べて寒冷地で発祥したために、養生法なども、からだを冷やさない方に重点が置かれているような気がします。日本に伝えれてきている養生法も、昔の日本の夏の暑さに対応するものであると思われます。
 しかし、ここ10数年の日本特に東京の異常気象、そして、地球温暖化とヒートアイランド現象によるこれからも益々ひどくなると思われる、東京の夏、これに、何千年単位で変化している人のDNAは対応出きる限界を超えているのではないかということです。
 これがSFの世界であれば、それに対応できる遺伝子をもった新人類があらあれたりするのでしょうが、残念ながら、私たちのからだは、それほど、フレキシブルではないように思います。そして、ほとんどの人が、夏の期間除湿冷房が効いた環境で多くの時間を過ごしているのだと思います。家の外は灼熱の暑さ、室内はビンビンに冷え切っている、その、気温の較差。
 そのような外界の変動にもかかわらず、からだの内部のホメオスタシス(恒常性)を維持するためには、これまで以上に、自律神経を鍛えて、フレキシブルなからだにすることが必要になってきていると、思うのです。

<病と性格・オリバーサックスの著作より>
長岡@気流堂 2004年09月19日(日)09:46
 
 脳神経科医オリバー・サックスの「偏頭痛」を読んでいます。彼は、映画「レナードの朝」の原作者でもあります。ちなみにレナード・・・は、ロバートデ・ニーロ主演、30数年前に当時流行していた、「眠り病」にかかった主人公が、Lドーパミンという、脳内物質アドレナリンを作り出す薬を投与したところ、30数年に渡る眠りから目覚めた事実に基づく物語です。30数年間ひたすら眠りつづけていたために、主人公は、現在の生活がまるでSFの世界のように感じられ、情緒は発病当時の20代のまま、今まで不可能であったこと様々にトライしていきます。しかし、Lドーパミンの効力には限界があり、再び麻痺・眠りの世界に戻っていくという悲劇です。原作者も驚いたドバート・デ・ニーロの天才的な演技力もあって、映画を見終わったとき、病が襲う不条理さにやりきれない思いをしたことを覚えています。
 さて、そのサックス氏ですが、彼は、脳神経の医者であるということから、偏頭痛のなぞを解き明かそうとしたものが、この本です。ありきたりの医学書・健康書にあるような、偏頭痛の解説ではなく、もちろん医学的な面から脳の機能的・構造的原因を解明していますが、彼のおもしろいところは、科学者である医者が嫌う、心理的・情緒的な側面からも偏頭痛を語っていることです。
 私自身、生まれてこのかた、頭痛の経験が皆無という、全くお気楽な人生を歩んで来ているため、多くの患者さんが訴える、頭痛の実感というものを、わが身で体験したことがありません。しかし、だからこそ、自身の体験によって個的な体験になることなしに、患者さんの、様々な訴えから、ある共通する特徴がわかってきたような気がします。
 偏頭痛もちの患者さんは、例外なく「がんばりやさん」なのです。私がそれにならない理由でもあるのですが(笑)。そして、家系的に必ず、偏頭痛もちの人がいます。それは、機能的な遺伝もあると思いますが、物事の対処の仕方
等において、後天的に家族からの影響を受けたためだと思われます。
 偏頭痛・胃痛・肩こり・目の痛み乾燥これらは、セットとなっています。それはからだが緊張して自律神経が交感神経に大きく傾いてしまっている状態を表します。
 からだをがちがちに緊張させて、一生懸命ばんばっている人が、仕事が一段落ついたりして、ほっとした週末などに、激しい偏頭痛に襲われるのです。
 サックス氏の本にも、私の観察と共通する患者さんの様子があらわされています。
 でも、だからといって、偏頭痛で苦しむ患者さんに、「もっと気楽にやっていきましょう。」と呼びかけても、なかなかそうは出来ないのが現実です。それができるぐらいならば、偏頭痛になっていないよ!ってなところです。
 しかし、偏頭痛の原因が、そのような自身の肉体の限界を超えた緊張にあるのだという自覚を強くもてば、行動の選択において、仕事を引き受けすぎない、手を10のうち2ぐらいはぬく、など各自において、対処の仕方を見出せるのではないかと思うのですが。

<ビタミンCの効用>
長岡@気流堂 2004年09月16日(木)09:21
 
 故ライナス・ポーリング博士をご存知ですか?高校の化学の教科書に、分子の電子軌道を解明した化学者であったことを思い出された方も多いと思いますが、博士はその業績でノーベル化学賞を受賞されました。しかし、晩年の博士は、分子生物学の研究から、人間の体内い必要なビタミン、特にビタミンCの研究へと情熱を傾けられたようです。私自身ポーリング博士は、電子軌道との関連しか思い出されなかったのですが、20年ほど前、アメリカでビタミン論争が盛んにおこなわれ、その中心人物がポーリング博士だったようです。その後、彼の提唱する「メガビタミン療法(ビタミンを栄養学の基準の100〜1000倍の量を摂取)」は、賛否両論を巻き起こしましたが、今日、アメリカ人は風邪を引くと、多量のビタミンCをサプリメント等で摂取するという習慣がすっかり定着しているのも、ポーリング博士の影響であろうと思われます。
 私自身、サプリメントは一切服用しておりません。理由は、玄米食を中心とした野菜中心の食事を割と、きちんととって、程度に運動をしているためか、すこぶる体調が良く、ビタミンをセプリメント等で摂取する必要性を感じなかったからです。しかし、あまり、果物を食べる習慣がなく、なにも考えずにこの歳で(笑)日焼けし放題のつけ?なのか、最近シミ・ソバカスが増えてきて、化粧品会社のCMに踊らされるわけではないですが、「ビタミンCが必要かな?」と感じていたところです。
 最近、ポーリング氏の著作を3冊ほど読み、人間にとって、ビタミン特にCは、かなり、重要な栄養素であるという認識を新たにしました。
 人や霊長類以外の哺乳類は、自身で食べ物がらビタミンCを作り出すことができるのに、人・霊長類はビタミンCを含む食べ物を摂取しなければならないそうです。それも、からだに必要な量は、栄養基準で定めているよりも、数百倍から数千倍必要で、「ビタミンCを多量にとっても、尿として排泄されるだけだから、無駄である」というのは、尿として排泄される量150ミリグラムは、人にとって、最低限必要なビタミンCの量らしいのです。
 ビタミンCはスカベンジャー(活性化酸素を吸着する)の役割もあるようで、よって、その作用は自律神経のバランスをとる働きもあるようです。また、細胞壁をつくるコラーゲンの生成の中間物質の製造を仲介する働きもあり、まさに、美容と健康のために必要なのだと実感しました。
 ただ、ポーリング博士の唱えているビタミンCの量はあまりにも多いようで、日本人ならば、せいぜい1500ミリ〜3000ミリグラムが適量でないかとの、訳者の意見でした。
 私も、3日前からさっそく、ビタミンCのサプリメントを買って、服用しはじめたところです。その効果の次第は、のちのちご報告します。

 

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